いちや
   
         
いちや   いちや  
   

株式会社アールズカンパニーは1997年に東京都練馬区にてわずか5坪、それもカウンター6席の路地裏にあるお店が始まりでした。学生達で賑わう江古田駅から3分の場所で私が選んだ店舗は車1台分の車庫。本当は土地勘のある下北沢で出店を考えていたのですが資金が足りず、どれだけ探しても見合う物件など見つかりませんでした。
そこでふと、学生の多くいる町は他にないだろうかと考え、以前数回だけ立ち寄った江古田が思い浮かんだのです。江古田駅には半径500m程の中に武蔵野大学、武蔵野音大、そして日本大学芸術学部と3つの大学があったからです。早速物件を探したのですが、やはり結果は同じ。賑やかな場所やメインストリートの店舗の家賃はさして下北沢と変わりませんでした。
結局あきらめかけた時にふと目に入ったのが、商店街の路地裏にある床屋さんのお宅の車の車庫でした。「ここだ」瞬間的に決めました。不動産屋を通して床屋の大家さんをくどき、車を別の場所に借りて頂く事で駐車場1台より少々割高な価格で、屋根付き車庫を借りる事ができました。借りてから気付いたのですが、やはり車庫ですから水道もガスもトイレもありません。ほとんど手作りの様な形で、ようやく店らしい物が出来た頃には資金も全て底を尽き、結局オープンの販促であるチラシの印刷代や広告費は無く、極めつけは看板も無い店が出来上がりました。
「まぁ、いいか・・・」
提灯さえあればラーメン屋だと分かるだろうと安易に考えた事がその後の経営に大きく作用する事になります。1年中若者達で賑わう町「江古田」そう思っていた私の思いはすぐに裏切られました。春・夏・冬、1年の半分は休みで学生達は町から姿を消し、正にゴーストタウン。店のある路地裏には酔っ払った人達がふらふらと歩いているだけです。オープンから1ヶ月、1日に2名しか来客がなかった日もありました。
それでも毎日200杯以上のスープを仕込み、20kgのチャーシューを1人で巻いていました。(笑)数人しか来客が無い日々が続きましたが、徐々に口コミが広がったのか半年後には店の前は行列でとても路地裏の店とは思えなかったですね。もちろんお客さんの入らない半年間だけはあった訳ですから、毎日毎日飽きもせず朝から晩までスープと格闘していました。ここでしか味わえない味を作ろうと、それが取材拒否の原因にもなり誤解を受ける事にもなりました。ラーメンに情熱の全てを掛けていましたが、料理に関してはプロで無かっただけに日々スープを改良し、更に美味しいものを・・・と追求した結果、1ヶ月前と全く違うスープになっていく。取材を受けるとわざわざ遠くから来て貰って、出てくる物が違うのではお客様に申し訳ない。そう言った理由で、味が確定するまでの間はマスコミの取材を拒否していました。
それから15年と言う月日が経ち「味」への探究心は尽きることがありません。おかげさまで現在当社では200人を超える従業員が勤務するまでになりました。その社員たちの中には元有名ホテルシェフ、寿司職人、蕎麦職人、元焼肉店経営者、元イタリアンレストラン経営者、パティシエなど、さまざまな経験を積んだ者たちがおります。「ラーメン店」である前に飲食店である当社は、その経験を生かすことに着目。経験者を指導員とし、テストキッチンを開設、「ラーメン」にこだわらない各得意分野でのメニューの開発を開始しました。
2006年には、池袋西口にアンテナショップとして、現「炭焼 いっぱち」を開店、当社の新しい業態展開に繋げられることを目標に、色々なメニューやサービスを試すことで「生のデータ」を得て参りました。現在も定期的にメニューコンセプトを変化させながら営業を続けています。今や飲食業界はより個性が求められ、入れ替わりの激しい時代となりました。それでも今に至ることが出来たのは、全ての店舗に職人的要素を追及した「味」であると自負しております。これからも妥協することのない 「味」を追及することをお約束いたします。それが、お客様への最大のサービスであると アールズカンパニーでは考えているからです。

 

食べること。一番身近なことだから。一番の思いを込めて。
失敗だと思ってやるから、失敗になる。成功するまでやり続ければ、それは成功になる。

食に終わりはない。ひろがり続けるメニューの数だけ夢がある。